この項は極めて深刻重大であるので、仏語及び英語に追って翻訳する。
cet article est très important et grave, je traduirai ultérieurement en français et en anglais.
this article is very important and serious, I will translate it later into french and english.
6月30日(水)於ドゥビエ。
ドゥビエはルブンバシの北東約500kmに位置する山間の町である。モエロ湖畔の町キルワからアクセスした(詳しくはブログ『アフリカの星』を参照されたい)
http://davidyt-etoiledafrique.blogspot.com/2010/07/3album-photo-du-voyage-moero-3eme-jour.html)
写真は別建てとする。
数年前まで「マイマイ」が略奪・殺戮をほしいままにした。「マイマイ」という殺人集団についても項目を別にして説明する。
フランシスコ会シスター・テオドーラが面倒をみているピグミー人のキャンプを一緒に訪問した。ドゥビエ郊外のマボンドMabondoにピグミーが住んでいる。彼らは国内難民déplacésだ。彼らのキャンプは最も最近のものを含めて4つある。すべてドゥビエにある。
ピグミーはもともと森に住んで狩猟、果実採取で生活していた。定住したことがないから、家はなく農業も知らなかった。とくに耕作して農産物を売るなどということも経験がなかった。他のコンゴ人と馴染まず独自の社会を形成してきた。ところが、内戦で森が荒らされて食料となる動物も植物もなくなってしまった。生活を奪われたのである。だから町に出てきた。しかし、多くの町は彼らが来ることを拒んだ。彼らとただ握手することすら普通のコンゴ人はしない。ピグミーはコンゴ人なのにコンゴ人とみなされていない。僕もこの日誌の「コンゴの歴史」で書いたようにピグミーはコンゴの先住民である。ところが彼らには住民票carte d’identitéも発行されていない。選挙権もない。いや、建前としてはコンゴ人としての権利があるのかもしれないが実行されていない。もっと酷いのは、カタンガ東北部であるドゥビエやプエト、キルワ地方は数年前までマイマイと呼ばれる反政府軍、実は武装強盗殺人団の侵略の犠牲になったところであるが、ピグミーはヒトとはみなされず、動物と同じように殺され「食された」のである。自分の子供が目の前で鍋で煮られて食されたのを見た母親に僕は会った。マイマイの首領だったジュデオンGedeonは現在死刑執行をルブンバシの刑務所で待っている。カタンガのマイマイは、マイマイを騙る殺人集団だ。鬼畜である。なぜならコンゴ東北部キヴ州発祥の本当のマイマイは第二次コンゴ戦争(1998-2002)でルワンダの侵略に抵抗した云わば市民軍である。
今、ピグミーは森には帰れない。森の生活が不可能になった。農業で定着の努力をしている。やっと山羊や鶏を飼うことを覚えた。農業もトウモロコシを植え始めた。マニョックは収穫まで3年かかる。家は鶏小屋よりも酷い。日本のホームレスの小屋が御殿にみえる。彼らは貧しい普通のコンゴ人以上に貧しい。「腹がへった」というのがお互いの挨拶代わりの言葉である。医療は「国境なき医師団」が今年2010年1月引揚げてしまって有料になった。フランシスコ会とて4キャンプ6000人いるピグミー全部の世話をする資金力も人手もない。コンゴ独立50年。街ではお祭気分でパレードがあった。しかし、マボンドのピグミーたちに祭日はなかった。
クジラや鴇(トキ)、ゴリラが絶滅危険種だと巨額の金が動く。ヒトであるピグミーが絶滅にあっているというのに誰も知らない。ピグミーは2500年以上人口減少を余儀なくされてきた。アフリカから、世界から消えようとしている。定着して普通のコンゴ人、普通のアフリカ人になろうとしているのに誰も手を差伸べない。「ピグミーを救え!」
mercredi 7 juillet 2010
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