samedi 20 mars 2010

苦闘:ザンビアの山越え route Solwezi(Zambie) - Kipushi(Congo) : une aventure inattendue

3月16日から19日まで南の隣国ザンビアに出ていた。その最終日は悪夢の山越えとなった。以下はその記録である。
3月19日14時半にSolweziを出発、コンゴ国境Kipushiに向かう。山道。舗装されていない。一番最初の監視ゲートで、ザンビアに入国した地点から出国せよと難癖をいわれ、120 000Kwachaを取られた。しかも、道が悪いから案内人をつけてやると。ところが案内人と称するのは赤シャツのザンビア人一人とコンゴ人二人。要は乗せていってくれということだ。しかし、若いコンゴ人Dembu君が悪路で大活躍をしてくれた。第二チェック・ポイントでこれからはもっと悪路だよといわれた。既に大きな水溜りの連続だというのに。コンゴに近づくにつれ道が更にぬかるみ、確かに悪路中の悪路になった。大きな水溜りが渡れず、それを回避する枝を敷いた脇道を通ったり、その脇道の先が通れず戻ったり、四駆で走っても立ち往生したりと苦労の連続。とんだサファリだ。国境まであと15km、ついに水溜りに嵌まり、前進も後退も出来なくなってしまった。すると、どこからともなく村人が集まってきて、水掻きをしたり、タイヤの嵌まった泥を掻いたり、何回も車を押したりと3時間も悪戦苦闘してくれた。見物人も集まっている。みんながそれぞれコメントする。それでも車は泥から脱出できなかった。3時間後やっと後方からトラックがやって来てロープで引っ張りあげてくれた。つまり3時間車が四駆もトラックも通らなかったということだ。このトラックの運転手がコンゴ・フランで10 000(1000円)、村人たちが総勢で10 000要求。ま、全てがボランティアとはおもわなかったけれど。10 000フランもらっても、泥を全身にかぶったり、ぬかるみに浸かったりと重労働であった。
しかもこれより以前、燃料が途中で足りなくなった。ガス欠寸前。みっともない。Solweziで補給しようと考えたが、130kmあまりならメータ上は十分に可能とふんで給油しなかったのだ。しかし、悪路の連続で燃料消費量が過大になった。ガソリン・スタンドはルブンバシまでない。サスペンス。そこで、途中で悪路のため立ち往生していたトラックの運転手に頼んで20Lを150 000クワチャで分けてもらった。スタンドではリッタ6200くらいだから、20Lで124 000の筈だが背に腹はかえられない。僕の車がディーゼル車だったので助かった。
Dembu君は、水溜りに裸足になって入って深さを調べたり、路肩の固さを確かめたり、僕らの行く手も走って車の走行を助けてくれたのである。ガイドするジェスチャーも堂にいっていた。これだけの活躍をしたのだ、最後にいくら請求してくるかなとおもったら、国境に着いたとき、彼はあっさりと「じゃ、またね」と去っていってしまった。彼にこそ礼をしたい。電話番号は控えたので、家に呼ぼう。僕と同じ街、KipushiのGecamines住宅地区に住んでいるそうだ。
結局夜の22時過ぎに国境に着いた。国境は既に閉鎖。同乗の彼らは暗闇に紛れて国境を越してしまうのだそうだ。ザンビア側にホテルは見当たらない。車の中で寝るしかなかった。車の窓を密閉して窒息しても困るので、10mmほど窓を開けておいた。車の中は狭いし、蚊が煩く飛んでくるので殆ど眠ることが出来なかった。
アスンタさんは軽い寝息をたててお休みである。Solwezi出発前に聖アントニオに無事キプシに到着できるように祈りを捧げていた。途中立ち往生したときも、落着いて「明日になれば誰か来るわよ」と動じなかった。アッシジの聖フランシスコは全てを擲って裸一貫神に命を捧げ、貧しい人たちの味方となった。さすがフランシスコ会の修道女である。

この悪路を自転車を押して通る人たちがかなりいた。炭や野菜を荷台いっぱいに積んでいる。家路を急ぐのではない。国境にある市場に行くのである。このぬかるみでは自転車を漕ぐわけにはいかない。只管歩いて押す。雨の中、傘も差さずに歩く。時折、近くを歩いている人が後押しをする。自転車で行く人にチップは請求できない。貧しい人たちの連帯感であろう。中には数日間かけて山越えをして市場に辿り着く。コンゴでもザンビアでも自転車で長距離運搬をしている姿をよく見かける。大変な重労働である。自転車からオートバイになるためには、どれだけ働かなければならないことか。

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