vendredi 21 mai 2010

ウラン鉱山シンコロブウェ mine d'uranium Shinkolobwe

Global Witnessの『Ruée et ruine』という2004年9月のレポートを読んだ。意訳すると『廃墟に殺到する者たち』。副題として『コンゴ民主共和国カタンガ州南部の鉱物資源を荒廃させる貿易』(Le commerce dévastateur des ressources minières dans le Sud du Katanga en République démocratique du Congo)とある。
Global Witnessはワシントンに本部があるNGOである。2003年のノーベル平和賞を受けている。受賞対象ワークは『ダイアモンド戦争』(アンゴラ、シェラレオーネそしてコンゴから産出されたダイアモンドが如何にこれらの国の内戦の戦費になっているのかをレポートしたもの)である。レポートは一回出されたきりではない。よくフォローされている。
http://www.globalwitness.org/index.php
『廃墟に殺到する者たち』の廃墟とは閉山した鉱山である。しかし、閉山と云っても鉱物資源が枯れたわけではない。手掘りの採掘exploitation artisanaleは続いている。このことは児童労働の項で書いた(5月13日)。レポートの格調は極めて高い。援助国、世銀、IMFおよびコンゴ(RDC)政府に対してリコメンデイションを発信している。当然のことながら日本政府もきく耳を持たねばならない。このレポートに特に日本にとって無関心でいてはならないことがレポートされている。それはシンコロブウェShinkolobwe鉱山である。カタンガ州の州都ルブンバシから北に150km。リカシ市に近い。この鉱山で採掘されたウランが広島・長崎の原爆製造に使用されたことは余りにも有名である。Shinkolobwe鉱山は1960年に閉鎖された。コンゴが独立前にベルギーが坑口をコンクリートで塞いだ。しかしながら、それは建前である。いかなる鉱山会社もその後採掘事業をShinkolobweで行っていない。けれども2004年7月、二つの竪坑が落盤事故を起こしている。誰もいないのに? 冗談ではない。7 000から13 000人の手掘り労働者が毎日ひしめいていたのである。その中には7歳の子どもたちもいた。少なくとも9名の犠牲者が出たというが詳しいことは明らかにされていない。その後、鉱山に入る監視が厳しくなったという。それも建前である。確かに軍隊や警察が監視しているだろう。しかし、その監視員に多少、たとえば10ドルも握らせれば、簡単に入山できることは間違いない。
Shinkolobwe鉱山で1939年、従ってコンゴがベルギーの植民地だった当時、鉱山の持ち主であったUnion Minière社(現Gecamines社)から12 000トンのウランがUSAに売却された。その頃、採掘した労働者、また閉山後営々と手彫りで、違法とはいえ労働していた人々が、放射能で汚染されたことも事実だが、ベルギーもコンゴも口を閉ざしている。広島・長崎の原爆は単なる新型爆弾、恐ろしい破壊力をもった爆弾ではなかった。被爆者、その子、その孫までが放射能radioactivitéの犠牲者である。日本は原爆の最初の犠牲者である。多くの苦く深刻な経験を持っている。その日本がコンゴの犠牲者に経験を生かすことができないのか。被爆者の発見、治療に手を貸せないのか。60年以上前のことはベルギーの責任、不法採掘は自己責任またはコンゴの責任だから知らない、さらにコンゴ(RDC)政府から要請がないから知らない、と決め込んでいていいのか。

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